金城裕の想い出の写真
10年くらい前でしょうか、パーティーにいらした方へのプレゼントとしてDVDをつくりました
その折に写真を整理しましたが、ネガが残っているのはほとんどなく、昔の名刺大プリントをスキャンしたり、ガラス乾板のもあって写真の歴史に思いを馳せたりしました
正確な撮影時期がわからないものが多く、それはもちろん記録がないからですが、父が結核のために中学を8年かかって卒業したということや、戦争でいろんなことが曖昧になったからでしょう
70年近く前のプリントの裏に撮影者だったアメリカのカメラマンの方のがあり、写真に関わるものとして印象に残りました
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大山さんと
『月刊空手道』の取材の時の写真と考えられます
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日大生時代
後列左が金城裕
日大に在学中、商科に在籍していたと聞いている -
有倫館時代
前列中央が金城裕、前列右が当時親しかった前田さん
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50周年記念式典
日本空手道研修会を創立してから50年がたちました
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シカゴの兄
仲の良かった異母兄弟の兄、清はずっとシカゴに暮らしていました
会ったことのない裕の妻英子や娘たちへのプレゼントはいつもありました -
シカゴの父慎康
アメリカに出稼ぎに行った父慎康は諸事情があって日本に帰ってくることはありませんでした
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どこでも空手修行
折を見つけては自分が正しいと思う空手のことをはなしていました
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どこでも空手修行B
長くくらした平塚の家には手作りの空手の練習のための道具がたくさんありました
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どこでも空手談義
空手の話はつきることがありませんでした
向かって左は中村さん -
ロサンゼルスで
たぶん、第1回世界空手道選手権大会での記念写真
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井の頭公園で
金城裕と当時のお弟子さんたちで行った演武
戦後、間もない頃たくさんの見学者がいたとのことですで -
沖縄空手道研修旅行
墨田区の道場から練習に来ていた渡辺さん、中村さんが一緒です
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空手の世界をひとつに
これからの空手界をめざすもの、心意気がどことなく感じられます
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剣友宮平師範と
空手古武道世界大会での記念写真
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妻英子17歳ころ
金城裕と結婚前、沖縄にいた頃の妻英子
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妻英子1940年頃
金城裕と結婚前の妻英子(旧姓渡久地英子)
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糸洲先生写真贈呈
糸洲安恒先生の写真を母校の首里高校に贈呈しました
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妻英子と
娘3人が成長してからはときおりふたりでの旅行もしました
年末年始には箱根駅伝が見れる大磯のホテルによく泊まりました -
糸洲安恒新墓前で
沖縄に行くと尊敬する先生方のお墓詣りをしました
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自宅で談笑
長く住んだ平塚には不便な場所だったにもかかわらず
様々な方が訪れました
誰にでも差がない応対でした -
出版記念で娘たちと
娘の意見には弱いとよく言われていました
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出版記念式での挨拶
皆さんを無料で招待しましたがお祝い金を持ってきてくださる方も多く、支払いにはめずらしk困りませんでした
長いお付き合いの方と会えて嬉しかったようです -
少尉時代
戦時の訓練で馬に乗ることをおぼえたとのこと
動物好きでした -
第1回研修会大会
墨田区にあった道場で開かれた…
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第
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第4回全日本空手道選手権大会
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中学時代
5年で終わるところを8年かかったと聞いています
結核療養その他のため -
藤本さんと
墨田区の道場にはよく藤本さんが来ていました
基礎練習を欠かさない姿が印象的でした -
オーストラリア巡回指導A
癌の手術の後、元気になってオーストラリアに行きました
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オーストラリア巡回指導B
こんなこともしていました
指3本で逆立ちの練習をしていたことがありました -
米寿のパーティーで
篠田さんご兄弟と
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米寿のパーティーで
月刊空手道の水口さんと
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米寿のパーティーで
孫の青木(大森)渚が三味線を披露しました
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母ツルに抱かれて
母親の写真はこれ1枚しかありませんでした
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養成館前で
墨田区にあった空手道場養成館の前で長女久美子と次女真喜子
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父慎康
撮影時不詳
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日大生時代
20歳頃
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日大生時代
後列左が金城裕